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2025年1月2日(木)
15時00分31秒
腐れ派遣先職場で「刑法学界の行為無価値論派の復興」までを想起しちゃう法学部中退の俺氏 Anonymous <学術>
§このメッセージは <学術> 向け配信です。
俺は法学部を中退したのではあるが実は、通信教育で同大学に15年ほど前に復学をしている。左翼系の大学で学生会館が中核派のアジトになっていたようなバリバリのパヨク大学だ。
退学したときはべつに思想的に反発したわけでもないがね。在学中は一般教養だけはきちんと取得した。専門科目は憲法と民法の一部だけで、ほとんど単位を取得せずに終わった。
通信教育で復学をして先ずは専門科目の取得を目指した。刑法もそのひとつだ。在学中はいまにも死にそうな老学者の眠い講義でつまらんかったがね。
刑法というのは大きく分けて二つの理論支柱がある。結果無価値論と行為無価値論というものだ。簡単にいってしまえば、前者は犯罪の法益侵害の結果に重きをおき、後者は犯罪に至る行為そのものに重きをおくものだ。

 ちょっといまさらながら、こんな話をしたくなったのは理由がある。
今働いている役所の請負業務の派遣先の職場で去年から一か月の経過があるのだが、どうにも不穏な空気が流れている。
「何人か問題があるやつがいるんだが君は頑張ってやっていけるかね?」と支社長さんはやたら強調するのだ。
「いやあ、仕事を覚えることだけに集中しますよ、大丈夫です」とアピールして、一応は雇われることにはなった。
いったいどんなクセモノ揃いなんだろと俺は内心少しビビっていたがねw

 いざ仕事を始めてみると互いにほとんど口を利かない静かな空気なのだが、とりたてて嫌な空気はしないし、みな一応は紳士的ではある。
それほどキャラが立つようなやつがいるわけではなく、これじゃ俺みたいなアクの強い人間のほうが悪目立ちしちゃうなあと自虐的になっていたりしてたぐらい。
なにがいったい問題なんだろと訝しがったが、まあ俺としては自分の仕事がマスターできて楽しめれば十分なので、よけいな詮索なぞせずにおとなしく仕事だけに集中しようとしていた。

あるとき、今年いっぱいで辞める予定の元SEの若いやつが仕事中にぼそっと「あとは時限爆弾が爆発するだけだな」というようなことを派遣リーダーに含み笑いをしながら語りかけていた。
それを面前で聞いた派遣リーダーもニヤつきながら相槌をするのだ。いったいなんのことなんだろと怪訝に思ったのだが、よくある毒舌というかブラックな冗談だろと聞き流していた。
その若いSEが辞めた後に後進の派遣社員が、その元SEの作った成果物にもなるプログラミングを引き継ぎのために教わっているときである。
先輩の派遣社員が「問題児の作った爆弾を直しておいてね」と言っているのだ。どうやら辞めさせられる腹いせに仕事に支障が出るような仕掛けをプログラミングに仕込んだらしい。
「結果」として周囲には簡単にその悪事は見抜かれていた。
当人はどういう神経でこんなものを作成したのか神経が知れんのだがもしも気づかれずに、客先で事故が起きるような事態になれば、たいへんなことである。

おそらくそんなことにはならんとふんだうえで「自分なりの正義の反抗のアピール」なのではないのかと俺は察するのだ。
そんなものを作ってまで職場に不満があった経緯までは知る由はないがね。「非正規雇用の身分」での「派遣先の請負会社の煽り」と「協力的でない役所の怠慢への不満のアピール」なのかもしれない。
なんでこんなことになっているのか、まだ職場で日の浅い俺にははっきりと状況がつかめないのだが、これって「犯罪」だろとしか俺には思えんのだ。「しょうもない問題児」なんて生温いことで済ませているけどね。
もちろん、結果として目に見えて損害が出たわけじゃないし、こんなことは些末な悪戯程度のプログラミングだとは思う。
でも俺は思うのだが、問題はそういうことではない。「犯罪」がどうかは「結果」としてなのか、その「行為性によるもの」なのかといえば、俺は「行為性によるもの」だと思う。
社内の内輪の揉め事で済むこの程度のことはまあ民事でしょうけど。誰も告発しなけりゃ刑事になんかなりゃしない。

 日本は戦前には、今よりずっと集団としての倫理観やモラルが厳しくて、刑法も学界では行為無価値論派が趨勢だった。
今は英米派の自由思想の影響を受けて結果無価値論が主流である。結果として法益侵害がないのであれば、その行為は厳しく咎められないうえで自由なのである。
学界やら教育界の主流の思想がそうだからといって職場での迷惑行為の処置にまでその影響があるとまではいわないが
今の若い人は「ゆとり」なんていわれて自由放任におとなしく育てられているが、こんなふうに甘やかすことでは精神が腐っていくだけなんじゃないだろうか。
もしもおれがリーダーだったら「くだらねえことやってんじゃねえよ!」と怒鳴り散らしていただろう。俺は腐っていることにはとても嫌悪感がある人間だ。
たとえ底辺の不満からの正義を訴えたかったとしても、そんなことをしたってなんにもならんことを彼に諭すね。

その若い元SEの「悪戯プログラミング」をみていると、なにやら昔に、わざと悪戯をして「大人にかまってもらいたい子供」を思い出した。
「よくないこと」だとはわかってはいるのだろう。でもそうすることで自分の不満や正義をわかってもらいたいというやつ。まあ、幼稚でみっともないことだ。
しかし、はたしてそれを甘やかす大人には責任はないのだろうか。いまの年配の大人はほぼほぼ、戦後の戦勝国である英米派の自由法学の教育を受けてきた世代だけである。俺もそうだ。
今は幼少からの教育がしごくゆきとどいていて、小学生からプログラミングを学習必須科目にあげて、余暇でもゲーム等で遊ぶことで自然と理論的な思考をみにつけていくような時代である。

「職場の性善説」などというのはあくまで土台の教育と雇用の保障がゆきとどいたうえで成り立つのが「性善の実体」なのだ。
今回のこの「悪戯プログラミング事件」に、その土台の脆弱さからくる若者の暴発を察し、汲み上げていく必要性をも俺は感じちゃったりするのだ。
それはその「行為の罪」で他者と繋がる「倫理と道徳の復活の必要性」でもあるとね。
叱りつけ厳しく罰するべきである。「いつでも切り捨てられる派遣社員の問題児」なんてぞんざいに扱わないでな。

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